実はわたし、片付け得意です。
なぜ得意かと言うと、捨てるからです。引越し回数も多かったので捨てるクセが付いたとも言えますが、母親が捨てる人だったのでその影響も有るでしょう。母は私の玩具等ドンドン捨てて居ました。子供の頃のお気に入りの「こま」を失くしたのは、自分が片付けが出来なかったのだと納得していましたが、今となってはどうも捨てられていたみたいです。そういえば他の玩具も自然に無くなっていました(笑)
会社員時代もヒマが有れば机や戸棚をあさってドンドン捨てて居ましたので、机の中と上は事務所で一番すっきりしていました。製紙会社時代小さな古い工場の担当として赴いた時も、(売上不振でどうにもならない工場だったので何とかしろ!と言う事で赴任させられたのです)まず始めにやったことは、書庫や棚、机の中の古い書類やカタログなどを焼却炉に大量にぶち込んで燃やす事でした。(社長の了解は取っていました)

毎日あまりに捨てるので、工場の現場責任者が「捨てるのは止めてくれ」と言って来たので止めましたが、私はとても不満で、その後も目を盗んでは捨てていました。売上が悪いのは古いものが多いからだと思っていたので、それらの不用品に憎しみすら覚えていました。但し工場の人間は、大事なものという認識があったのと、もし捨てて取り返しが付かなかった時の責任などをグズグズ言っていました。
先日の整理時もそうですが、捨てる時、「捨てた後困っても、また何とかすればいい」と思いながら捨てています。で、いつも何とかなっています。5年前富士宮市から神奈川県に引っ越しした時は、高校時代までの写真もほとんど焼却してきました。とにかくドンドン捨てましたが、今まで困った事はありません。それより新しい事を取り入れるのに、古い「有象無象」は邪魔で仕方ありません。両立は無理です。
捨てると言えば語弊が有りますが、人間関係も切りまくりの人生です。仲良くなったりするのは簡単ですが、人と別れるのは難しいです。自分が年をとって変わっていくように、他人も変わっていくものなので、常に新しい感覚で付き合っていければ良いでしょうが、なかなかそうは行きません。最近思うのは、後何年生きてるのだろうと思うことです。いくらものを大事にとっていても、いくら人間関係をズルズルつなげていても、死ぬ時は「身一つ」だと思っています。それなら今、切って捨てるほうが、なんぼか「スッキリ」するに違いありません。
人の目を気にしてるから、捨てられない、切れない・・・・。そうやってストレス溜めて、病気にでもなったら、もっと周りを気にしなくちゃいけませんからね。 ~あ やだやだ♪ まっぴらだよん。短い人生わがままに行きたいものです。
去年も何人か縁の切れた人がいます。寂しいですが仕方ないと思っています。今年も、来年もその繰り返しです。その代わり新しい人との出会いはとても嬉しいものです。「一期一会」が自分でも出来るようにと願いながら、あと何年か生きていくのだと思っています。捨てるのなんてなんとも無い、と強がり、言い聞かせながら、身辺整理整頓を続けます。
注)この記事は2006年1月11日(旧)兎屋ブログからの転載です。