北海道鉄道事情 2005

パソコンの横にJR当別駅の時刻表を貼って、汽車が来るのを楽しみにしています。たった1両の汽車ですが、グリーンのラインがなつかしいです。

そういえばむかしよく行った、第3セクターで経営されている「ふるさと銀河鉄道」(旧池北線)の廃止が決まったようです。・・・思い出深い「日の出」駅も無くなるのかと思うと、寂しいですね。

私が北海道に興味を持ち、毎夏行き始めたのが、27歳頃で、その頃天北線が廃止されました。まだ線路は残っていて、平成元年の夏には 旧天北線のひと気の無い「浅茅野駅」の軒下で雨の一夜を明かした事がありました。(天北線の廃線は1989年・・・平成元年5月)

古い写真の裏書きには平成元年8月13日夕刻北海道宗谷郡猿払村浅茅野 旧天北線浅茅野駅舎内にて

また、西興部から名寄に向う国道沿いには真っ赤にさびた線路が延々続いて居ましたし、美深から仁宇布に向う道道の脇に熊笹で覆われた鉄路を発見した事も有りました。その時は家内と野宿旅行の途中で、記念写真を撮っておきました。そういう時代でした。

実は2001年、製紙会社を辞め家族で夏の北海道を放浪しながら、これからの事をぼんやり考えてた旅の途中で、仁宇布三叉路を通過の時、道の脇の線路のある広場で人だかりがしてるので見に行くと、地元の有志の方達が、廃線で朽ちていた線路を補修し、エンジンをつけたトロッコ(正確には保線作業に使っていた4人乗りのトロッコ)を走らせていました。

私たち家族はさっそくそれに乗せてもらい、仁宇布から美深方面に約2km程整備されていた廃線路を走ってきました。その終点は道道沿いの「高広の滝」という所でした。・・・!なんとそこは十数年前家内と新婚旅行(野宿旅)で記念撮影したところでした・・・。

そういえば朱鞠内湖を一周する路線もまだ現役でしたね。JRとは言っても、旧国鉄の匂いがプンプンする北海道のローカル線は、旅情タップリで、オートバイで野宿旅行を続けていた私にとっては、その寂びれ具合が嬉しくて、その頃からかな?オートバイで走っていて、道路標識で ○○駅前 なんて書いてるとつい駅に寄るようになりました。

もちろん大きな駅なんてパスです。出来れば昭和の生き残りみたいな駅がベストでしたね。最近はほとんど見なくなりましたが・・・。

コレのブログを書いてて、いろいろ調べましたが、廃線マニアの方っていらっしゃるんですね。わたしもその気があるみたいです・・・。毎日 当別駅の風景を見ながら、北海道の鉄道の事を考えたりしています。・・・あの踏み切りはもう雪に覆われてるのかな?・・・。

注)この記事は2005年12月5日(旧)兎屋ブログからの転載です。

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