四国の道(大野ヶ原)2005

青い空・青い海四国というキャッチフレーズなどがある四国は「海国」というイメージを持たれている方も多いと思いますが・・・・。

実は四国は「山国」です。地学的に四国島は成り立ちが新しいので、山が険しく尖っています。海を隔てた中国地方の山容と比べると違いがよくわかります。岡山あたりの風景では、山の形はなだらかで、やさしい形をしています。それは山塊が出来た後、風雨侵食の期間が長いのでそのような形になっているのです。しかし、四国の山はまだ侵食が進んでないので尖ったままです。という事で平面距離に対して高度があるという、急峻な山容になっています。

私の実家から1時間ちょっと走るとこのような風景を至る所で見ることが出来ます。山が急峻ということは、谷が深いという事ですが、谷沿いに道が無数に走っており、時折その谷道から急に山に向って道が派生し、登ったり、越えたりの連続です。それらほとんどが今でも生活道路として使われています。国道といっても車の離合が難しい道が当たり前のように山を抜けてるのです。県道、市道、町道、林道なども同じです。

四国地図を見てると頭が混乱してきます。山があって峠があり、その向こうにまた集落が有る、というような感じではなく、山も峠も常に人の気配がするようで、しかも山深い・・。その山陰を回るといきなり集落に入っていたり、さびしく走ってるつもりが、振り返ると向こうの山肌に大きな集落が貼りついていたり・・・。だんだんそれらの集落が平家の落人部落かな?と真剣に思ってきます。そうすると、地図上の「字」名が妙にいわくのある字に思えてきますし、実際そうらしいです。

この日の目的地は「大野ヶ原」(おおのがはら) 四国カルストから連なる高原です。小学校の3年頃に、父のホンダN360で家族で宇和島市から遊びに行った事が有ります。といっても車に酔ってしまい散々でしたけれども・・・。その時の苦しい記憶はあるのですが、その前後の記憶は全くありません。

という事は38年振りかぁ・・・。この日は四国カルストのメイン?の方に行く積りが「大野ヶ原」という道標を見て急にそちらに変更しました。38年位前の微かな記憶では、霧の中の未舗装の道をたどりながら着いた所はやはり霧が充満してました。道の脇に板張りの小屋が有ったのと、普段見慣れない牛が居た事を覚えています。後は苦しくて苦しくて・・・父は笑ってましたが。
38年振り?の「大野ヶ原」へはかなり時間が掛かりました。国道33号から国道440号に入り、さらに県道36号に入り、途中工事で片側通行やらなんやらで、国道440号に入ってからは対向車にはほとんど出会いませんでした。いつまで続くのかと思うような羊腸たる?(まさに言えてる道です)道をたどって行き、小さい峠を越えるといきなり雰囲気が変わりました。平家の落人がたどるような山道から、いきなり!北海道の牧草地帯に・・・。本当です。面白い!まさに北海道の風景がここに有ります。この風景はたった2km位で終わります。しばらく行くと道はまた下りになり、四国の道になって行きます。ここだけ別の時間が有るようです。

注)この記事は2005年10月15日(旧)兎屋ブログからの転載です。

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