大阪のはなし 2005

大阪は好きな町です。
26歳の頃(昭和60年)丸々1年間大阪に住んでました。初めの4ヶ月は豊中市庄内西町の文化住宅です。庄内は下町風情の強烈な街で、四国と東京しか知らなかったので面喰いました。阪急宝塚線の庄内駅前ダイエーは大阪で一番安いダイエーと言われていましたし、(ダイエーにも地域差が有る事を始めて知りました)

銭湯の広告もすごかったな・・・。頭を洗っていて何気なく蛇口の上にある町内広告を読んでびっくり!おもわず頭を洗いながら何気なく周りを見回しました。その広告とはなんと 刺青屋さんの広告で、今でこそタトゥー屋さんがあちこちに見えますが、昭和60年だと、和彫りのホンマもんさんに需要があったのでしょうね。しかも下町だと元気のいい若い衆さんかなお客さんは・・・。でも大阪だからあたり前と妙に納得してました。

文化住宅も初めての経験でした。8畳1間の文化住宅は管理人のバーさんがきれい好きで玄関は掃き掃除が行き届いていますし、廊下はセブンイレブンの床みたいにいつもピカピカ光っていました。薄暗い廊下の向こう端にある窓から光が入り廊下に反射していて、すかして見ても廊下にホコリの一つもありませんでした。圧巻は共同便所で、いつもきれいに清潔にされて居り、おもわず唸ってしまい「このバーさんには絶対逆らわんとこ」と心に誓いました。

部屋はバーさんの隣が同僚の子の部屋で、その隣が私の部屋でした。毎日会社から帰りしなにダイエーに寄って買い物をして、その同僚の子と自炊してました。私は自炊がわりと好きなので毎日自炊しながら、その同僚といろんな事を夜遅くまで話してましたね。

実は大阪に来る前、東京で楽しくやっていたので、急に転勤を言い渡された時はショックで1週間メシもろくに食えない状況だったのです。今思えば若いな~~と思いますが、その時は、大阪が嫌で 嫌で もう20代で東京に戻る事は無いだろうと絶望の新幹線で大阪に向かったものでした。

そんな気持ちで赴任したので、街の風景を見ても、ほとんど白黒でしか感じられませんでした。街のポスターで、「人情の町大阪」なんて書いてると「チェッ」とか言ってました。大阪市営地下鉄のアナウンスも嫌い、御堂筋も嫌い、ラジオも嫌い 何でも嫌いが大阪のスタートでした。特に前半の半年は面白い事はなかったですね。

ところが仕事は面白いんですね。私はもともと営業は苦手な人だったのですが、大阪の人と仕事の話をしていると、やる気が出るんですよ。今でこそ大阪の商売の面白さは幾分説明出来ますが、当時はそんな事考えていませんね。ただ、ワシこそ大阪商人やっ!て雰囲気の人が多いのは気にはなりました・・・。

庄内には4ヶ月住んでまして、その後会社がマンションを借りてくれて引越しをしました。同僚と2人で共同生活です。今度も同じ豊中市ですが、住所は桃山台と言うところで、大きなマンションやコーポが建ち並ぶ街。御堂筋線先の北大阪急行南北線の脇にその借り上げ社宅はありました。ここの大家さんは地元のお百姓で、なぜか私たちに優しくしてくれて、畑でとれたネギをどっさり頂いたりしてました。ここでも自炊をしてたのですが、買い物はおしゃれなスーパーで、以前のダイエーより物が高く、種類も少なかったのを覚えています。この街ではあまり面白いエピソードはありませんでした。

きれいなマンションに住んで4ヶ月した頃、同僚が転勤になったので、ひとりでマンションは贅沢と言う事になり、アパートを探す事になりました。遠く生駒市や西成区、阪急、阪神いろいろ探して、落ち着いたのは 天王寺区上本町4丁目の古いアパートでした。会社に近いし、粘って探したかいがあったというものです。

そのアパートは一度廃屋になっていたものを、不動産賃貸業者が手を入れ新たに貸し出しをし始めたばかりの物件で、昭和30年代の雰囲気が漂っている(もっと古いのかな)渋いつくりの鉄筋4階建てのコンクリートがぎっちりつまったようなアパートでした。名前は「憩いの杜」と言ってたかな?快適な住まいでした。

この上本町4丁目界隈は、お寺とラブホテルがたくさんある地域で、夏の夜は、「わらびもち」屋さんが売りに来てました。ここも下町でしたが、庄内とはまた違った風情が楽しめました。

休日一人でぶらついていて、大きな市場に迷い込んでしまい、うす暗い路地をウロイロしていたとき、急に赤や水色、黄色、の色が目に飛び込んで来ました。一瞬何?と思ってよく見ると、色とりどりのチマチョゴリが飾ってある商店の前に出ていたのでした。いつの間にか 隣町の鶴橋まで歩いていたのです。

ここは在日朝鮮人、在日韓国人の方が多い街です。数年前友達に連れられて ブルコギを食べに行ったのもここ鶴橋でした。とてもおいしい焼肉屋さんでした。

いろいろあちこち一人でうろついていた大阪時代ですが、(このうろうろでいろんな人と縁が出来、今の家内とも一緒になったのですが、それはこのあと4年ぐらいしてからの事です)急に東京に戻される事になりました。

全く予想していなかったので、辞令を貰った時はバンザイ!と思ったものでした。その夜一人で風呂に入っていて、急に風景が白黒からカラーに戻った気がしました。気分が切り替わったのでしょう。

それから何度も大阪に行ってますが、住んでる時は嫌いだった大阪が、離れてみて段々好きになっていくのが不思議でした。今なら大阪に住んでもいいなぁと思っています。もし独身だったら、庄内の文化住宅か、天王寺の超鉄筋のアパートが良いですね。

実は数年前サラリーマンをやめる時、もう大阪に来る事はないだろうと思い、昔住んでいた庄内西町の文化住宅を見に行ったことがありました、しかし建物は無くなっていて駐車場になってました。ダイエーは有りましたよ。 

上本町4丁目のアパートはまたもとの廃屋に戻ってました。しかし、一人で「兎屋」初めてまた大阪に行く機会が増えてきました。これで暫くは大阪をうろうろ出来そうです。

注)この記事は2005年7月15日(旧)兎屋ブログからの転載です。

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