まだ再生紙の話が 続いています。
以前から新聞用紙や段ボール原紙、白板紙といった紙以外にも、古紙入の紙は存在していました。(但し再生紙といった呼び名は有りませんでしたが)洋紙系で言えば下級印刷用紙と言ったものです。それよりランクの高い中質紙の中にも下級印刷用紙に近いものには古紙が使われていました。家庭紙でも黒チリ紙はほとんど古紙で作られていていましたし、皆さん良くご存知の漫画雑誌の本紙に使用されている紙(特更紙)は大手メーカーで一部パルプが入っている物もありますが、中小メーカー品は古紙100%の紙です。

以前は再生紙?と言った言葉も無く、古紙入の紙は、あまり歓迎されていなかったのです。紙製品の売れ行きを見ればよくわかります。今でこそ、古紙入の紙製品はエコロジーとかグリーン等とイメージの良い名前をつけられて、いろんな場所で見られますが、以前はそんな言葉も無く、どちらかといえば古紙入と言うことを隠していたような時代もあったのです。
時代が今と違って古紙入の紙を歓迎していない時代になぜ、わざわざ古紙を使って紙を抄いていたのかといえば、日本にパルプ原料となる資源が少ないと言うことです。昔は日本でも木を切ってパルプの材料としていました。その証拠に古い製紙工場の中には、なぜこんな山の中にあるの?と言うような所で紙やパルプを作っている所が今でも残っています。日本で紙原料の手当てが出来ていた時代は、紙の需要もまだ少なかったのでそれで足りていました。(戦前1945年以前には朝鮮半島やサハリンにも日本の製紙工場がありました)
その後、高度成長と共に紙の需要が飛躍的に増えると、国内だけではまかない切れないので、パルプやチップを外国から輸入するようになり、重油や石炭等の燃料も手当てしやすいように、工場は臨海地区に進出しました。同時に生産効率UPの為、マシンが大型化し工場も大きくなって行ったのです。 紙の需要が増えれば紙ごみが増えると言うことですし、世界的にパルプやチップが大量に取引されると言うことは、その国の気候やストライキの影響でパルプやチップの価格が不安定になることを意味します。そこで古紙に注目があたり始めました。環境の面(当時は専らごみ対策面が強調)や仕入れの面で、各工場は古紙対応をし始めました。
昔から(紙の性質上、また貴重品の為、古くは平安時代頃より再生されて来ています)紙は幾度も再生使用されてきましたが、高度成長期に製紙メーカーが物心とも替わり始めた頃に、古紙回収の業界も大きく変わり、今に続いています。古紙回収行業者は大きくなりメーカーと直接付き合うようになり、その付き合うメーカーによって系列のようなものも出来ています。但し、今のような 再生紙?ブームといったものは見えない時代で、大手こそ古紙を使って、新聞紙、ダンボール原紙、白板紙を抄いており、中小もやっとそれについて行くと言う状況でした。
この頃は古紙はまだ余裕があり、大手が買い占めると言う状況ではありませんでしたので、地方の中小製紙会社も古紙を買って紙を抄いているところも多くありました。どちらかというと、古紙のすそ物三品は大手を中心に、それ以外の割と程度の良い古紙は中小製紙が使っていると言う住み分けも有ったのです。
高度成長も一段落といった頃、(昭和40年代半ば)トイレットペーパー不足が社会問題となり、国民こぞってスーパーに走りトイレットパーパーを買い占めたことが有りました。紙は水と同じでいつでも有るべきものだったのが、(一部にある商社が国民の不安を煽ったという説も有るようですが・・・・)この時期、急に紙に注目が集まりました。家庭紙というカテゴリーが確立して行ったのもこの時期の様な気がします。(余談ですが:紙屋の給料が大幅に上がったのもこの頃だと先輩に聞かされたことが有りました。紙の倉庫は空っぽだったそうで、どんなに高くても紙は売れたそうです)
それまでは新聞、雑誌、ダンボール、書籍、印刷物、と云った物が皆さんの身近に有る紙製品でしたが、この昭和40年代半ばの紙騒動のときから、特にトイレットペーパーを媒介して、それまでとは違った紙製品がクローズアップされて来たように思えます。その後ティッシュペーパーが貴重品ながら出現し、その箱には原料が表示されるようになりました。そこには誇らしく 「100%パルプ」と書かれていました。